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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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供述調書をめぐる問題

 ここ数日の新聞記事を見ただけでも、刑事事件の捜査(取調べ)の過程で警察や検察が被疑者・被告人から得た「供述調書」に問題があったことを示唆するケースが数多く見られます。
 ① 「自白調書誘導で確認」 大阪府警が放火罪の容疑で逮捕・送検された知的障害者に対して、物事をうまく説明できないのに、詳細な犯行状況や謝辞を述べたとする「自白調書」を作成していた(朝日1月20日)。
 ② 「捜査報告書捏造か」 強制わいせつ事件の裁判員裁判で、大阪地裁が男性被告の「自供書」は警察の誘導で作成されたと指摘した問題をめぐり、別の警察官が捜査報告書を捏造した疑いがあると、弁護側が指摘していることが分かった(朝日2月5日)。
 ③ 「調書を無断書き換え」 交通事故の実況見分調書や供述調書を無断で書き換えたとして、岐阜県警は巡査部長らを虚偽公文書作成・行使の疑いで書類送検した(朝日2月24日)。
 ④ 「検察作成の調書大阪地裁不採用」 強盗致傷などに問われた男性被告の裁判員裁判で、検察官が作成した被告人の自白調書1通について、被告の意思に反して作られた疑いがあるとして証拠採用されなかった(朝日2月26日)。
 これらは、昨年大きな問題となった「郵便不正事件」で、検察官が証拠を改ざんし、これを隠蔽した上に、多数の供述調書が「検事の誘導で作られた」として証拠排除されたという苦い経験があった以降も、依然として事態が変わっていないことを示しています。さらに、放火事犯で、捜査段階の「供述調書」を排除した1審判決に対して、これを信用できるとして控訴審が逆転有罪にしたケースさえ見られます(朝日2月14日)。
 それにもかかわらず、法務検察当局は、取調べの「可視化」を自白確認時にのみとどめ、全面的な可視化にはなお強い抵抗を示しています。以上のような問題は、取調べをオープンにすれば、簡単に防げるものなのに、不可解な対応といわざるを得ません。一度、「全面可視化」を試行して見てはどうでしょうか。
# by nakayama_kenichi | 2011-02-27 10:08

政局の混迷を憂える

 2009年6月に発足した民主党政権は、政権交代の旗を掲げて華々しくスタートしました。国民は、脱官僚と政治主導の理念に期待し、事業仕分け活動などの積極的な改革を評価したように見えたのですが、鳩山首相自身と小沢幹事長をめぐる政治とカネの問題で古い自民党的な体質を露呈したほか、沖縄の普天間米軍基地の県外移転を公言しながら、まともな折衝もせずに結局は実現不可能になるなど、国民の期待を大きく裏切る結果となって、1年足らずの2010年6月に鳩山内閣は総辞職に追い込まれました。
  これを引き継いだ菅内閣も、2010年秋の参院選挙で敗北した後は、ねじれ国会の下での妥協策に追われながら、党内の小沢問題の処理に足を引っ張られて、積極的な改革を打ち出すことができないまま、受身の姿勢を強いられ、予算案を含む懸案事項はほとんど先送りになるという失速状態が続いています。
  今後の動向は、予断を許しませんが、たとえ解散・総選挙になるとしても、国民の要求を結集できるような政党や政治グループが存在しなければ、混乱の収拾と前進は望めないでしょう。この点では、古い「自民党」政治への復帰を許さないためにも、まずは政権党となった「民主党」自体の再建が期待されるのですが、小沢一派との決別を明確に前提とした上での再結集を期待するほかはありません。小沢氏の無責任な言動とそれを取り巻く一派の陰険な策謀への国民的な批判をマスコミはもっと強調すべきでしょう(朝日新聞2月24日の「声」欄)。
  本来ならば、革新政党の出番を期待したいところですが、最近の状況は不思議なほどみじめな状態にあります。各地に「9条の会」などの地域的なボランテイア活動が存在するにもかからわらず、そのエネルギーを学生運動や労働運動につなげる兆しさえ表面化しないというのも、現在の日本における政治活動の貧困をあらわしているように思われます。
# by nakayama_kenichi | 2011-02-24 11:12

刑法のイデオロギー性

 前回のブログでは「刑法のイデオロギー性」という言葉の意味がわからないという声がありましたので、簡単に説明しておきます。
 「広辞苑」によりますと、「イデオロギー」(ideologie)とは、一般には、思想傾向や考え方を意味しますが、とくに、史的唯物論(マルクス主義)においては、政治・法律・道徳・哲学などの社会的意識が、一定の歴史的な社会の経済構造によって制約され、社会のそれぞれの階級ないし党派の利害を反映すると見る考え方をいうと説明されています。
 これが、社会主義の立場から、法の階級性という形で主張されたのですが、旧ソ連や中国、さらには北朝鮮などの現実の「社会主義国」が労働者や人民の利益を反映した法と政策を実現せず、かえって国家と党の専制独裁の体制を作り上げたのではないかという批判が強く、歴史的な審判が下されようとしています。
 それでは、「資本主義国」が、市民に「自由と民主主義」を保障し得るのかという点が改めて問われているのですが、自由競争社会に伴う特権的富裕層と貧しい生活困窮者との間の格差が増大し、増大する犯罪のなかでも、とくに国家体制に批判的な言動には厳しい監視と規制が加えられるなど、社会的な矛盾が解決されるよりも、むしろ、より深まりつつあるように思われるのです。
 日本でも、第2次大戦後の変革は「民主革命」といわれたのですが、その象徴であった「日本国憲法」の平和と民主主義の精神が次第に色あせて、今や対米従属の下で自衛隊やアメリカの軍事基地は恒久的なものとなり、政治は混迷を深めています。 
 なかでも、体制に批判的なビラ貼り事件や君が代の強制訴訟などは、「法のイデオロギー性」を考えさせられる具体的な事例だと思われるのです。
# by nakayama_kenichi | 2011-02-21 09:05

中国刑法学の再生

 私自身も、2009年秋に中国の南京大学と武漢大學を訪問して、刑法学者と懇談していますので、最近の中国の刑法学界の模様については、断片的な情報を得ていましたが、最近来日された北京大学の陳興良教授の講演記録(「刑法雑誌」50巻2号、2011年)を読んで、改めて中国の刑法学の分野での「転換」と「再生」の全体像をかなり詳しく知ることができました。
 その内容は、中国の歴史の変遷を踏まえた極めて大胆な問題提起を含んでいますが、その最大の特色は以下の2点にあると思われます。
  第1は、中国の革命以前の「中華民国」の時代には、ドイツや日本の理論との交流があったが、革命によって断絶し、それ以後は「ソ連の刑法学」の圧倒的影響下に長らく置かれていたため、刑法学の自由な発展が妨げられていたといわれる点です。
  第2は、ソ連の影響を受けた革命後の中国の刑法学の特徴が、「階級性の強調」と「解釈学の欠如」にあり、今や社会主義刑法学の政治的イデオロギーから脱却して、解釈学の貧弱な水準をドイツや日本に倣って抜本的に高めるべきだといわれる点です。
  しかし、このような単純な歴史認識と「転換」の意味づけには、原則的な留保が必要であることを指摘しておく必要があるでしょう。それは、中国が計画経済から市場経済に移行したとしても、政治体制と政治イデオロギーからの脱却が見られない中では、「刑法学」の「転換」には決定的な限界があり、中国の国策と「人権」状況とも矛盾してしまうことになるからです。
 その上に、刑法のイデオロギー性は、ドイツや日本の刑法(資本主義刑法)にも存在することを忘れてはならず、それは刑法解釈学の水準の引上げによっても解消するものではないことを自覚すべきでしょう。上記の提言は、政治体制から中立な「刑法学」の限界を意識した上での「自由化」の動きとして評価されるべきものと思われます。
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                   長岡天満宮の梅(咲き始め)
中国刑法学の再生_c0067324_91861.jpg

# by nakayama_kenichi | 2011-02-18 09:17

「一日一善」の終末

 この高齢者用マンション内で親しくなった90歳の老夫婦の奥さんが手押し車で危なかしく歩かれているのを見て、廊下を歩行する手助けをするようになり、毎日、朝食後と夕食後の2回、マンション内の廊下をゆっくりと散歩するのが日課となって長く続いていたことは、このブログでも何回か紹介してきました。
 その奥さんが、昨年10月に軽い脳梗塞で倒れて入院治療の後、提携病院でリハビリを続けられていることも報告してきましたが、年を明けても、なかなか退院の目処が立たず、かえって全身の衰弱が進んでいることを心配していました。
 その間、同じく90歳のご主人が、毎日入院先の病院まで、バスや車で介護に通われている姿を見て、感服するとともに、ご主人の体調の方も心配になっていました。心臓の手術をし、膀胱がんの後遺症をかかえながら、しかし自動車を運転されるという傑物ですが、何といっても年は争えないからです。
 ところが、数日前から奥さんの容態が悪化しはじめ、食べ物が喉から入らなくなり、点滴で栄養を補給する状態が続き、意識はあるものの、次第に反応が鈍くなり、呼吸も苦しくなって人工呼吸器をつけるというように、典型的な末期症状が現れるようになりました。
 私が最後にお見舞いに行ったときには、一時の幻覚症状は消えていましたが、言葉の意味が不明で、しかし別れるときはおだやかに手を振っておられました。しかし、結局は、2月15日未明に、亡くなられたことをご主人から聞きました。残念ですが、こればかりは何とも致し方ありません。お元気であったころの思い出、とくに食堂で一緒に食事をした後、1年以上もの間、マンションの廊下を2人連れで歩いたという貴重な体験を心に残しつつ、今はただご冥福を祈るのみです。今日は、喪に服します。
# by nakayama_kenichi | 2011-02-15 11:14