これが素朴な応報感情にとどまるのであれば、理性的な状況判断によって縮小論ないし廃止論に変化する可能性もあるということになりますが、その方向に転換するための何らかの契機(「外圧」)がなければ、現状維持にとどまる公算の方が大きいように思われます。
しかも、現代社会は、社会不安を体感治安として受け止めて、むしろ犯罪に対する重罰化を求めるように個人に働く要因を含んでいます。この点について、岩間一雄氏(岡山大学名誉教授)は、現実の犯罪件数が必ずしも増大していないのに、社会の体感治安が悪化して行く根底には、社会が流動化し、社会的不平等が個人化し、犯罪を個人の異常心理に置き換えて、この不安に対処するために、危険を抑圧し厳罰化して行こうとする体制側の政策を後押しするという方向に流れる心理があると分析されています。
本来、犯罪は劣悪な環境の産物であり、これを社会として受け止める共同性、連帯性、統合性が受け皿となるべきなのに、これが不安感として流動化し、「社会の個人化」が進んで、孤立した個人がリスクを処理するというシステムの中に置かれているところに、問題の本質があるといわれるのです。したがって、現状を転換するためには、「私」を「私たち」に飛躍させ、ばらばらな個人社会を連帯的な「市民社会」へと結合し直すことが求められているといわれています(「日本の思想と死刑制度」、「人権21・調査と研究」209号、2010/12、50頁以下)。
そして、現に、今度の大震災援助のボランティア活動などは、そのような社会連帯活動の例として挙げられるでしょう。それは、人権と寛容の精神を生み出すものと期待されるのです。
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琵琶湖大津館の庭のチューリップ