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[ 2007-10 -24 20:45 ]
2007年 10月 24日 ( 1 )
その場では、とても整理できないので、写真を撮って存在を確認し、各家庭ごとに目録を作成してもらうよう、依頼しました。乾長昭氏の蔵書目録を示す資料も出てきましたが、その所在はいまだ判明していない状態です。
展示会の後、集まった十数人の門人関係者は、そろって乾長昭氏が住み、そこで講義をしていた「仙崖荘」に集まり、この家の主(あるじ)の大きな遺影の前に数々の供え物をして、合掌し、今な亡きなき乾長昭氏と門人達の数奇の因縁を語り合いました。仙崖荘は昭和2年に新築されたもので、ちょうど80年前ということになります。今まで、門人達の子孫によって立派に管理されてきましたが、もう限界にきているので建物は取り壊し、記念碑を立てるということになったのです。
その後、近くの旅館に一同が集まって夕食の懇親会をし、仙崖荘にお別れをする会の締めくくりが行われましたが、数名の女性を含む十数名の門人関係者の精神的な支柱の強さと一体感に改めて感動しました。女性の皆さんは、今後も乾長昭氏の眠る墓場の清掃を続けていきたいというのですから、全く頭の下がる思いです。その日、私自身は、その旅館に一泊しました。
なお、当日は福井新聞の記者が取材に来ていましたが、10月24日の福井新聞嶺南版に、教え子の子孫10人が持参した「儒教、仏教説いた若狭の賢人、乾長昭氏の遺品・資料200点」が展示され、住民ら遺徳を偲ぶという記事が出ています。