8月15日
2008年 08月 15日
私自身は、戦争経験者の世代ですので、1945年(昭和20年)8月15日のことは、生涯忘れることはできないでしょう。毎年8月15日が来ると、あの日、長い戦争がようやく終わった日、海軍に編入された清水高等商船学校の三保の松原の校庭で「玉音放送」を聞いた瞬間とその後の数分間の凝縮した思いがよみがえってきます。それは、今から63年前の19歳当時の熱い晴天の日の出来事でした。
今日は、当日ほとんど聞き取れなかった「終戦の詔勅(玉音放送)」の全文をコピーし、改めて読んでみました。しかし、そこに書かれていたのは、今次の戦争が自国の自存と東亜の安定を目的としたもので、他国の主権や領土を侵すような侵略戦争ではないこと、敵が残虐な爆弾を使用したので交戦を継続するとわが民族の滅亡を招来するおそれがあるので、共同宣言に応じるに至ったこと、日本帝国とともに東亜の解放に協力した諸盟邦に遺憾の意を表した上で、帝国臣民で戦陣に斃れた者とその遺族に思いを致し、今後帝国が受けるべき苦難は尋常なものではないけれども、堪へ難きを堪え忍び難きを忍んで、万世のために太平を開こうとすること、朕は国体を護持し得て、忠良なる臣民とともに総力をあげて将来の建設にあたり、誓って国体の精華を発揚すべきこと、などを趣旨としたものです。
この機会に、一読をお勧めしますが、私としては、戦争に対する反省が見られず、かえってわが皇祖皇宗の「国体」の護持が繰り返し強調されているのが、気になるところでした。