亡妻の3回忌
2008年 04月 11日
家内の母は、100歳に達して、今も近くの「天神の杜」という特別養護老人ホームに入居していますが、家内の死を伝えないうちに意識が混濁し、笑顔はありますが、人の見分けがつかなくなりました。しかし、危険な状態から挽回する生命力には驚くべきものがあります。仮に終末期が訪れたとしても、おそらくは「安らかな死」が待っているだろうと思います。
ところが、亡妻の場合は、病気による死で、しかも病名がすい臓がんでしたので、末期はとくに激しい苦痛に悩まされていました。最後まで意識がはっきりしていましたので、苦痛を緩和するために医師が処方してくれた麻薬を飲むことを拒否し、苦痛と戦いながらの最後でした。それが「安らかな死」とは程遠い点に悲運の定めがあり、その苦痛を分かち合えなかった点に自責の念が残ります。
最近読んだ日野原博士の本の中には、人工的な延命よりも、むしろ苦痛の緩和によって「安らかな死」を迎えさせるのが医師の使命であるという指摘がありますが、あえて苦痛と戦う方法を選んだ亡妻の自己決定を尊重したということで、後悔と自責の念をなだめています。人の死は不可避とはいえ、できれば「安らかな死」を望みたいものです。