吉川少年の反骨精神
2008年 04月 06日
「私は、1940年に、京都府立一中(現府立洛北高校)に転入学しました。学校の中では、弱冠20余歳の配属将校が校長を凌ぐ権力を持ち、暴君のように振舞っていました。配属将校は、常にわれわれ生徒を「貴様」と呼び、「天皇陛下のために死ね」という教育を執拗に繰り返し、これに反発していた私は、彼から毎週のように軍隊さながらの往復ビンタを浴びせられました。また、1941年4月に九州から転任してきた校長が「御真影奉安殿」なるものの新築計画を立て、各家庭に一口10円(現在の価値では10万円位)の寄付を強要したことがありました。当時寄付を拒否したのは、全校1200余名のうち、朝鮮出身のR君と私だけでした。早速配属将校がやってきて、「貴様は何故寄付しないのか」と詰問しました。私が金属が不足で供出させられているときに新たに鉄筋コンクリートを使って奉安殿を造ることは適当とは思われないからと答えたところ、彼は、「問答無用!不忠者めが。貴様はアカか」と言ってまた容赦のない往復ビンタを浴びせました。それ以後、私は、「思想の悪い奴」というレッテルを貼られることになりました・・・・」。
その先生が、よく無事に三高から東大に行けたものだなあと感心する次第です。

