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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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吉川少年の反骨精神

 吉川経夫先生は2006年8月31日に82歳で亡くなられました。そのとき、このブログで追悼文を書きました。今日、法政大学の機関誌『法学志林』(105巻4号)が送られてきましたが、それが吉川先生の追悼号になっています。私も寄稿しましたが(「吉川先生と刑法改正問題」)、ここでは、小田中聡樹さんの「追悼の辞」のなかで紹介されている吉川先生の戦時中の旧制中学時代の体験記のなかから、先生の反骨精神を示すエピソードを紹介したいと思います。
 「私は、1940年に、京都府立一中(現府立洛北高校)に転入学しました。学校の中では、弱冠20余歳の配属将校が校長を凌ぐ権力を持ち、暴君のように振舞っていました。配属将校は、常にわれわれ生徒を「貴様」と呼び、「天皇陛下のために死ね」という教育を執拗に繰り返し、これに反発していた私は、彼から毎週のように軍隊さながらの往復ビンタを浴びせられました。また、1941年4月に九州から転任してきた校長が「御真影奉安殿」なるものの新築計画を立て、各家庭に一口10円(現在の価値では10万円位)の寄付を強要したことがありました。当時寄付を拒否したのは、全校1200余名のうち、朝鮮出身のR君と私だけでした。早速配属将校がやってきて、「貴様は何故寄付しないのか」と詰問しました。私が金属が不足で供出させられているときに新たに鉄筋コンクリートを使って奉安殿を造ることは適当とは思われないからと答えたところ、彼は、「問答無用!不忠者めが。貴様はアカか」と言ってまた容赦のない往復ビンタを浴びせました。それ以後、私は、「思想の悪い奴」というレッテルを貼られることになりました・・・・」。
 その先生が、よく無事に三高から東大に行けたものだなあと感心する次第です。
by nakayama_kenichi | 2008-04-06 20:35