桐畑氏との奇遇
2008年 04月 04日
そういわれてみますと、「桐畑」という苗字は、余呉湖のほとりの「川並」と言う部落に特徴的なもので(ほとんどが桐畑名といわれるほど)、ほかにはあまり見られないものであることに気がつき、あらためてそれが本当の話であることを確認しました。
その桐畑氏は、当日は新郎の大學時代の同級生で同じゼミに所属していたという関係ですが、実は私自身も、彼らの世代が卒業してから、その大學の教員として赴任していますので、幾重にも関係があります。
この桐畑氏が現在は弁護士で、しかも私の所属する事務所に近いということで、後日早速に地図や古い記録等をもって事務所に来られ、自分の父は敦賀、福井、大阪と営林署に勤務していたので、学校は地元ではないが、子どものころの思い出として、余呉湖やその周辺(私の部落は「中之郷」)の風景を今でもなつかしく覚えているとのことでした。
私の方も、早速郷里の「川並」の友人(これも桐畑氏)に連絡をとりましたが、家号「床七(しょうひち)」の桐畑氏は営林署に関係する人に違いないという返信をもらいました。そこで、今度は私の方から、桐畑氏の事務所を訪問し、地図で地名などを確認し合いながら、しばらく郷里の話に花を咲かせました。そして、一度一緒に「余呉湖」周辺を散策することを約して別れました。

