刑法175条の由来
2008年 01月 14日
私は、著書の中で、一番古いのは、徳川中期に出た「出板令」(しゅっぱんれい)の中に、いわゆる好色本の絶版を命ずるという項目があったが、取締りはかなり緩やかであり、明治になってからは、明治元年の太政官布告で検閲主義が導入され、明治2年に新聞紙印行条例、出版条例と続き、明治9年からは行政処分による事前の発行禁止・停止処分が制度上確立したと述べています(『わいせつ罪の可罰性』1994年成文堂)。
そして、刑法典には、明治15年の旧刑法が「風俗を害する図書等の販売」を処罰し、明治40年の現行刑法が「わいせつな文書等の頒布」を処罰するという規定が置かれました。これが刑法175条の由来となっています。
ところが、刑法には「公然わいせつ罪」(174条)という罪があり、これは人前で裸になるような行為がその例です。しかし、こちらの方には、「軽犯罪法」1条20号に軽い罪の規定があり(公衆の目に触れるような場所で公衆に嫌悪の情を催させるような仕方で、しり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者)、さらにその前には、戦前の警察犯処罰令(明41)、刑法違警罪(明13)があり、そして一番古いのが、違式かい違条例(明5東京)です。
たとえば、違式かい違条例には、次のような規定がありました。
第 9条 春画(マクラエ)及ビ其類ノ諸器物ヲ販売スル者。
第12条 男女人込ノ湯ヲ渡世スル者。
第22条 裸体(スハダカ)又ハ袒裼(タンセキ)シ、或ハ股脛(モモハギ)を露ハシ、醜体(ミニクキ)ヲナス者。
しかし、このうち9条は、むしろ刑法175条の方の古い規定だと思われます。