トンボ鉛筆のB
2007年 12月 20日
「昭和37年3月1日。京都大学入学試験当日の朝。先日来の雪がまだ残ったぬかるんだ時計台前広場に集まった法学部受験生の中に私はいました。男子学生ばかりの中、緊張と寒さでがたがた震えるばかり。やがて列は動き出し法経大教室へと向かいました。階段教室の教壇前の試験監督官の中に中山先生がおられました。でもこれだけでは思い出にはなりません。そこにちょっとした事件が起きました。
教室でたった一人の女子学生が、筆箱を落としたようだと言い出したのです。試験開始まで時間は迫っています。中山先生は女子学生の周りの学生から鉛筆を何本かと、けしごむを集めて女子学生に渡そうとしたところ、彼女はとんでもないと言ったのです。『私はトンボ鉛筆のBしか使いません』。なんてわがままなやつ、勝手にしなさいといわれてもよさそうなのに、先生は生協でトンボ鉛筆を6本買ってきて、しかも使えるように削ってあるのを渡してくださったのです。やがて1時限の試験が終わり、先生の監督のお仕事も終わりです。
教室を出ていく女子学生に、先生は『鉛筆代は、君が京大生になった時でいいからね。私は法学部の中山研一といいます』と言われました。もし私が京大にパスしていなかったらお話は続きません。法学部330人中3名の女子学生の一人になった私は、約束を忘れず中山先生を訪ねてトンボ鉛筆6本分代をお返ししました。お話はこれでお終い?」。
以上が、彼女の証言なのですが、残念ながら私の方は、ぼんやりと覚えている程度で、明瞭な記憶がないのがもどかしい次第です。それにしても、良いことをしてあげて感謝されたという何かほのぼのした嬉しい気分になりました。
そのかつての若かった女子学生も、今や4人の孫のいる年配女性で、一方当時まだ30歳台の若手助教授だった私も今や80歳を越えました。これは45年も前の「美談」とでもいえるものでしょうか。

