三上照夫氏のこと
2007年 12月 05日
不思議なご縁だと思って、早速に京都西京区のご自宅を訪問して、直接に奥様から話を聞く機会がありました。そして、結果的には、予期した以上の隠れた事実を思わせるような事実が示唆され、全く驚いてしまいました。
第1は、三上照夫氏が戦前は中学時代に少年兵を志願し、特攻隊員として死線をさまよう経験をした後、戦後は寺に入って修行する中で経典類を猛勉強し、昭和20年代の中頃に若狭の賢者の門弟達と交流しただけでなく、当時すでに亡くなっていた若狭の賢者(乾長昭氏)の後継者にま推されていたという話です。
第2は、しかし結局は、三上氏自身は京都の地で人の道を講じる説教師としての道を選び、講演・講義に走り回って、15年前に病死するまで、倦むことなくその仕事に献身されたという話です。これは、若狭の賢者の活動にも匹敵するものといえるかもしれません。
第3は、三上氏の没後、奥様自身が、残された膨大な講義録や資料を読み取ってパソコンに入力し、しかもこれを毎月一冊の雑誌として自ら印刷し、200名に及ぶ読者(信者)に送り届けるという仕事を、現在に至るも続行されているという話です。
私が頂いた最近号(松栢第162号)には、「講演講話より」(昭和35年)のほか、「思い出の一筆箋」として若狭の賢者と仙崖荘についても、詳しい記録が記されており、仙崖荘の写真まで掲載されていました。
死ぬまで休めませんねといわれて、2人で意気投合しましたが、次回はもっと詳しいお話をすることを楽しみにしています。