ミニミニ有信会(2)
2007年 11月 20日
私の記憶は乏しく、しかも途中で休学していましたので、当日の私はもっぱら質問者の立場に立って、彼が見聞した当時の事情をできるだけくわしく、確かめながら聞くという形になりました。浅野さんの記憶力は抜群で、雄弁なために話が延々と続き、時を忘れて、お互いに実に楽しいひとときを過ごしました。その話の中から、いくつかの興味ある話を紹介しておくことにします。
第1は、当時がアメリカによる占領下の時代であったということで、占領政策が決定的な影響力をもっていたということです。敗戦から昭和24年頃までは、日本の民主化が推奨され、学生運動も自由に行えたのです。京大への入学自体も、旧制高校のみならず、他の専門学校卒業生にも開かれるようになり、現に浅野さんも愛知大学予科の出身でした。
第2は、昭和25年の朝鮮事変以降になると、事態は一変し、官庁や企業にレッドパージの嵐が吹き荒れ、大学にもその影響が出たということです。デモや集会にも大学の許可が必要となり、違反すれば処分されるという形で、学生運動にも厳しい時代が到来しました。そのなかでも特筆すべきは、いわゆる「天皇事件」で、京大に行幸された天皇に「公開質問状」を出すというユニークな運動が行われ、処分者が出ました。また、円山公園からのデモ隊が鴨川の橋の上で警察官と衝突した「荒神橋事件」では、逮捕者も出るという一幕もありました。しかし一方では、「原爆展」を丸物百貨店で開くという先見の明のある活動も勇敢に行われていたのです。
第3は、「学生民科」とも呼ばれた自主的な勉強会が組織され、熱心に行われたということです。しかも、これらの研究会には、当時の教授陣も指導に当たられており、刑法と社会主義法は宮内先生、法社会学は磯村、上柳先生、国際政治は立川先生、労働法は片岡先生といった具合です。当時は、川島武宣著の「所有権法の理論」が斬新な興味を呼び起こしていたことを思い出します。

