足立政喜さんのこと
2007年 10月 17日
実は、この6月頃に、足立さんの翻訳にかかる大著(『大本教団と日本の超国家主義』Ulrich Lins, Die Omoto-Bewegung und der radikale Nationalisms in Japan,1976) を頂いたばかりなので、驚きましたが、今改めて本書の訳者「あとがき」を見ますと、病床にふしながら、この大著をライフワークとして何とかして完成したいという足立さんの切実な思いが伝わってきます。
足立さんは、京都府立医大を卒業後、京都第2赤十字病院に外科医として勤務した後、長岡町に足立診療所を開設して医師の仕事をするかたわら、法学への憧れから龍谷大学法学部法学研究科を修了するという精励ぶりでした。
足立さんが、大本教団に関心をもっておられたことは、私自身は全く知らなかったのですが、本書の「あとがき」のなかには、足立さんの故郷が竹田城のあった竹田町(現在、兵庫県朝来市和田山竹田)にあり、大本教団の出口王仁三郎が竹田城にやってきたのは足立さんが小学3年のときで、通学の途上にあった大本教分教所では毎日早朝から日本陸軍式柔剣道の激しい訓練が行われていて、その光景はまったく軍隊とみまがうばかりであったという記述があります。そして、長ずるにつれて、自分とともに歩んできた昭和戦前史について興味をもち、大本教、出口なお、出口王仁三郎、浅野和三郎などについてもしれなりに見聞を広め、ついに本書に出会い、どうしても翻訳してみたいという衝動が心のなかに沸き立つのを感じ、その後足掛け5年の翻訳作業は苦難の道であったと記されています。
足立さんの貴重なお仕事に満腔の敬意を表し、ご冥福を祈願します。

