刑法と国家主義
2007年 09月 08日
その最近号(324号29頁、2007年9月)の中に、少し気になる記載の部分がありましたので、あえてコメントをさせて頂きたいと思います。
そこでは、戦後の刑法改正問題の際の小野清一郎先生と平野龍一先生との関係が触れてあり、平野先生が準備草案や改正刑法草案に対して、「これは犯罪化、重罰化であり、国家主義的である」と厳しく批判されたという指摘がなされています。それは、戦前の刑法改正仮案に由来するもので、戦前の否定というよりは肯定に近いという印象を払拭することができなかったというわけです。私どもも、この平野先生の評価に賛成したのです。
問題は、それに続いて、松尾さんが、最近の状況について、次のように述べておられるところです。「・・・・その点、最近の刑法改正は、ご承知のように『犯罪化であり、重罰化である』という場合が少なくないのです。支払い用カードの罪を新たに作ったり、危険運転致死傷罪を制定して、従来の業務上過失致死傷罪より相当重い刑罰を法定したりということが行われているのです。しかし、犯罪化、重罰化ではあっても国家主義的なものでは全然なく、市民の生活、市民の安全を守るという方向でなされているので、社会はこれを受け入れています。しかし、30年前の刑法全面改正のときは、受け取り方がまったく違っていました」。
最近の犯罪化・重罰化は、国家ではなく国民のためのものだというわけでしょうか。時代状況の変化ということもありますが。自衛隊のイラク派遣や憲法改正の動きがある中で、刑法改正だけが国家主義と無縁なものといえるのだろうかという疑問が湧いてくるのです。平野先生が生きておられたら、どのように評価されるのでしょう。聞いてみたいものです。