叙勲について
2007年 01月 25日
かつて所属していた大学から、70歳になるのを機会に、生存者叙勲を受ける意思を確認した上で叙勲対象者名簿を文部省に提出することになっているので、叙勲を受ける意思があるかどうか回答してほしいという依頼があった。叙勲のことなどひとごとだと考えていたが、いざ自分のこととなると真面目に考えなければならなくなった。
叙勲を受けるかどうかは本人の自由意思によるもので、個人的な選択の問題だとされているのは当然だとしても、そこには本人の意思の尊重という点よりも、むしろ無駄のない事務的な処理や受領者側とのトラブルの回避といった考慮も働いているのではないかと思われる。
かつては、お上が授ける叙勲を受領しないといったケースはほとんどなかったのではないかと考えられるのであるが、最近は増えているのか、そのあたりの実態を知りたいところである。
叙勲制度の由来や歴史については、特別の関心をもって調べたことがないので、正確な知識に乏しいが、戦前以来の伝統とスタイルをいまだ色濃く残している分野の一つではないかと思われる。軍人に与えられた勲章は、過去の功績に対する表彰であると同時に、国に対する忠誠心を涵養するものとして積極的に位置づけられていた。しかも、勲章にも軍人の階級による歴然たる差があることが当然視されていたのである。戦後の民主化はこの分野にどのような変化をもたらしたのであろうか。
私の狭い経験の中でも、戦前の小学校の学年末に成績優秀な生徒に与えられた表彰の制度は、戦後には無くなったと聞いた。しかし、生前に官吏として勤め戦後の昭和22年に亡くなった父には、死後の叙勲として一定の位階が授けられた記憶があり、とくに死後に与えられる叙勲がどのような意味をもつのか、いささか首をかしげる思いであった。
一般的な叙勲制度は、戦後いったん廃止されたが、昭和36年に復活し、その後は維持され拡大されて現在に至っている。春秋の2回にわたって発表される生存者叙勲の規模は次第に拡大し、対象者とそのランキングについて、関係者のみならず一般の関心も高くなるつつある。叙勲を受けた人を囲む祝賀会が各地で行われ、次回以降の予測まで語られるともいわれる。
叙勲制度にも意味がないわけではなく、その機会に受賞者の功績をたたえ、受賞者自身にもさらなる研鑽を期待するという効果をもたらすであろうといわれるのであるが、一般的な叙勲者の功績の内容を公平に評価することは不可能であり、70歳になってからも研鑽を続ける人はむしろ稀である。したがって、叙勲の順序やランキングは、過去の地位・身分・肩書・在職期間・年齢などの形式的な基準によらざるをえず、官尊民卑の根強い傾向も容易には改まらない。むしろ叙勲制度は、人の業績の評価を社会への実際の貢献度よりもこれらの形式的な基準によってランキングしてしまうというマイナス面をもっている。70歳になっても本当に研鑽を続ける人は、叙勲などとは本来無関係で特別な関心を示さないのが通常ではないかと思われる。
勲章の好きな人に勲章を与えるのも善政ではないかという意見もありうるであろうが、私自身はあえてこの流れに竿をさしたい気持である。

