2007年1月1日
2007年 01月 01日
昨年はまだ家内と一緒の正月でしたが、今年は年賀欠礼の淋しい正月となりました。
それでも、家内の母のいる老人ホームには、大阪の息子一家4人とカナダから帰っている娘と孫娘を含む7人で訪問し、今年100歳になる予定の老母のおだやかな笑顔に元気づけられて帰りました。かくいう私も、間もなく80歳になる予定の老人です。
今年は、欠礼をご存じない方から数すくない年賀状がきましたが、その中に、外国郵便で、20年も前のポーランド人の旧友からのものが含まれていました。これは、私のポーランド留学時から知り合った多くの刑事法の専門家の一人ではなく、むしろその後に全く別のルートから偶然に知り合った精神医学者で、日本の宗教や文化に興味をもつ知日派の外国人に属しています。その彼が、2006年に自伝的な書物『私の人生と家族生活の歴史』を出版したといって、かつて京都に滞在した時の記録の部分を数枚の写真とともにカラーコピーして送ってくれたのです。
それらの写真の中には、京都国際会館、京都御所、金閣寺、比叡山延暦寺、龍安寺などの著名な名所を自写したもののほかに、自分が滞在していた旅館の畳の部屋、そして、何と「別れの晩餐」と題する、私の家での食事風景の写真も含まれており、しかもその中に私の亡き妻の姿も写っていることを発見して驚きました。
それは、私の当時のメモでは、1991年7月5日から13日までの間の出来事で、今から約15年前のことになります。ポーランド語の文章は、もうほとんど読めなくなっていますので、誰かに翻訳を頼んで、正確に復元したいと考えています。

