仙崖荘訪問
2006年 11月 10日
前回の8月3日の約束にしたがって、門下生などの名簿作り、乾長昭氏の遺品や記録類の蒐集と整理などの点について熱心に懇談しましたが、その様子を床の間の「お写真」がじっと眺めておられるというのが当日の「仙崖荘」のユニークな風景でした。
今回、ひとつ大きな収穫がありましたのは、「乾先生(仙崖荘)の門下生名簿」という形で、昭和52年10月当時、かつて門下生の一人であった岡本参二朗氏が残されたメモから、当時の名簿の一部が立派に復元されたということです。これは貴重な資料ですが、その中には、大正10年4月から昭和7年3月までの約10年間にわたる講義の受講生の名前と当時の年齢まできちっと記載されています。仙崖荘は昭和のはじめに建立されていますので、大正年間は、「北原宅」とか「岡上宅」とか、門人の家が講義の場所として記載されています。たとえば、大正11年4月の会は「北原宅」で参加者は34名にも達し、上は78歳の男子から下は19歳の女子まで含まれています。そして、このメモを作った岡本参二朗氏自身は昭和5年1月の会に19歳でその名を登録しています。
この名簿については、昭和7年以降の集会の日時および参加者の名が欠けているのが残念で、これが何らかの形で補充できることを期待しています(長昭氏は昭和13年没)。
なお、新しい課題として、長昭氏の父にあたる「乾満昭氏」が「先師」と呼ばれ、若狭彦神社の宮司として著名であったこととの関係で、この親子関係をもっと調べる必要があることを痛感しました。そして現に、上記の門下生名簿には、年月不詳としつつ、この「先師」の講義の受講生の名が、何と40名も記載されているのです。これは、驚くべきことで、若狭の賢者は親子ともにこの地で門下生を集めて連続して講義をしていたことになります。
私は、懇談会の後、乾長昭氏の設計・建立にかかるお墓にお参りしてから、同じ道を通って帰京しました。

