樋口和博著『峠の落し文』
2006年 10月 22日
本書の「書名」の由来を含めて、まずは初版の「自序」の一節を引用しておきます。「本書もまた、さきに出版した著書同様、所詮は私が歩き続けてきた裁判所という厳しい峠の道で出会った数々の人達や、事件との出会いを書いたものに過ぎない。この峠の道は、羽振りをきかせた得意満面の人達や、意気揚々と肩を張って歩く人達の通る表街道ではなくて、あるときは、深い悩みと悲しみや不安を持ち、またあるときは、さまざまな責苦を一身に背負った人達の通る裏街道である。そこには、修羅があり、菩薩があり、慟哭があり、救いがあった。本書はこれらの人達が、語るべくして語りえなかったものを、つたない文字で綴った峠の道の落し文に過ぎない」。
次に、私自身が本書を読んで、とくに印象に残った点を書きとめておきます。それは、第1に、裁判官をやめて弁護士になってみると、時には、およそ国民の裁判所とは程遠い、昔の冷たいお白洲を思わせるような裁判に遭遇するということ、第2に、死刑判決との関係で、被害者としての耐えられない悲しみを乗り越える冷静な気持が被害者の遺族に共通する感情となり、社会一般の感情もまたこれらの人達と同じような心情になれたなら、わが国の死刑存廃論も世論に訴える大きな声になるであろうこと、第3に、青春とは心の若さであり、若さというものはその人の青春に対する決意で決まるのかもしれないといわれていること、そして第4に、自由人・近藤倫二の庶民的な親しみやすいしぐさには、いかめしい高裁長官らしさのひとかけらも見られなかったといわれていること、などの点です。心の奥まで暖まるさわやかな読後感でしたが、詠まれている数々の「俳句」の心境には、とても及びがつきません。
(p.s.)
石川弁護士からの連絡では、この本にはもう残部がないとのことですが、グーグルで「樋口和博」を検索すると、日本裁判官ネットワークのコーヒブレイク欄で読むことができることを私も確かめました。とくに若い法曹の方々にお勧めします。