戸別訪問自由化の課題
2006年 09月 08日
ところが、最近、わが家にホームステイに来たアメリカ人の大学生に聞いてみますと、即座に、選挙運動は基本的に自由であって、そのような規制は不合理でおかしいという明確な答えが返ってきました。それが彼らの常識なのです。では、なぜこのような国際的な常識がわが国では通用しないのでしうか。
その由来が、国家統制下の「翼賛選挙」にあることは明らかですが、この体制と思想が戦後も基本的に維持されてきたところに問題があります。戦後の一時期、若干の自由化の動きがありましたが、その動きが根付かないまま、禁止と処罰の体制が定着してしまったのです。私に対して、戦後の解放期の選挙の自由を経験したかという質問がありましたが、残念ながら私自身にも自覚的な記憶がありません。
では、戸別訪問の禁止と処罰の理由はどこに求められているかといいますと、判例は、戸別訪問が買収等の温床になりやすく、選挙人の平穏を害し、候補者側に無用な競争と多額の出費を余儀なくさせるといった弊害があるというのです。しかし、戸別訪問(表現の自由の行使)と買収(破廉恥な行為)とは全く違った性質のものであり、迷惑だから処罰するというのも大まかすぎる議論です。また、無用な競争を避けるというのも候補者側の勝手な論理で、いずれも理論的には根拠薄弱といわねばなりません。
では、それにもかかわらず、なぜ「戸別訪問の自由化」が進まないかといいますと、むしろ市民の間に、選挙運動を迷惑視する意識がなお根強く残っているからではないかと思われます。この市民意識の変革こそが課題ではないでしょうか。