仙崖荘の涼風
2006年 08月 08日
8月3日の早朝に家を出て、近江今津まで湖西線に乗り、そこまで迎えにきてくれた記者の車で、夏山の谷間に沿って若狭まで通り抜けました。午前10時半ころに到着した頃は、もう北原さんなど現地の親しい門人関係の数人の方々が仙崖荘の戸や窓を開けて、中で待機しておられました。
私自身も仙崖荘の中に入るのは久しぶりでしたが、築後すでに80年の古い家のなかにはほとんど家財道具もないのに、床の間に掲げられた乾長昭氏のかなり大きな写真がなお訪問者の目をひきつける魅力と緊張した臨場感を与えるのが不思議です。集った皆さんで資料を持ち寄って、建物と記録の保存方法を相談したのですが、話はいつしか昔に及び、親や兄弟などから伝え聞いた昔々の思い出話をあたかも自分自身の体験談のように、目を輝かして語られる姿には、改めて驚きのほかありませんでした。記者も強い印象を受けた様子でした。
とくに仙崖荘に近隣の人たちが集ったのは、昭和2(1927)年から昭和13(1938)年までの約10年間という古い古い時代のことでであり、昭和30年頃に平泉澄氏が訪問して「若狭の賢者」のことを紹介されてから数えても、現在まですでに50年を経過しているという時代の長さに注目しなければなりません。平成18(2006)年の現在でもなお、門人の子孫たちが仙崖荘に集って、賢者の墓所とともに維持管理を続けているというのは、尋常のことではないのです。
戸外は真夏の暑さでしたが、仙崖荘の中を通る風は涼しくさわやかでした。