ママの育児日記
2006年 06月 16日
ここでは、「若狭の賢者」との関係で、長男を連れて若狭の仙崖荘に滞在した期間(35年8月14日から9月10日まで)の日記のなかから、本人の推定的同意の範囲内で、いくつかのメモ書きを抜粋し、当時の思い出を再現しておきたい。
「8月17日 水曜日 晴 今日もまた、樋口さんに午前中だけ、坊やをあずける。夕方、涼しくなってから、大お祖父様のお墓参りに出かける。大祖父様、何卒、坊やが元気で、おりこうに大きくなりますように・・・・・・と。帰りに北原さんへお土産をもって寄ると、北原さんの小母さんも「何したいい坊ちゃん」と云ふ。この辺りでは、まだ男児を重んじて喜ぶ風が見えて、男児大いに鼻の高いろころだ。」
「8月19日 金曜日 晴 今日は、大祖父様のご命日で、夜、門人の人達が沢山集まるといふので、ママは、お供えをかねて、にぎりずしを100個ほども作る。そして、樋口さん、田辺さん、小畑さんへも配る。夜、皆やってきた。坊やは神妙に落ち着いている。「徳があってョナー」と皆は感心する。いくら親バカチャンリンのママでもこれだけはネコカブリと判っていて苦笑する。パパが安保条約改定の話をなさる。おばあちゃん達には無理らしい。コックリ、コックリ・・・。」
「9月5日 月曜日 雨後曇 今晩は多門会。17人ばかり集った。パパが「幸福への技術」という本の紹介をされる。坊やは神妙に、お利口そうにパパのひざの上で、皆のあいさつを受けて、ほめられている。パパのお話の最中、ママのところでお菓子をパクパクやったので、お腹が少しおかしくなちゃった。皆、夜8時ころ解散。後に、北原、津田、岡本さんに、小畑が残って、おじいさまの書物のことなどを話して、1時になる。」