皇室の台所
2006年 03月 13日
「5月12日には、世田谷区下馬の住民によって小規模ながら「米よこせ区民大会」が開催された。これが後に・・・「食糧メーデー」に発展していくものである。・・・小さなデモ隊は2つに分かれ、1つは世田谷区役所へ、もう1つのグループは皇居に向かって進んでいった。皇居では衛視とちょっとした押し問答の末、デモ隊は警察官と小競り合いになったが、ようやく中に入ることを許され・・・、宮内庁の代表に面会して自分達の要求を伝えた。・・・この前代未聞の侵入劇の際、皇居の台所を見た人々は、そこで当然のことながら、一般家庭の食卓ではとうてい目にすることのできない食物を目にしたのである」(上巻338-339頁)。
「天皇裕仁のその後の反応は、予想通りのものだった。5月24日、日本の降伏を告げた画期的な放送以来はじめて、天皇はラジオをつうじて国民の団結連帯を訴えた。戦時中と同じく、天皇は国民の苦しみに心をいためていると語った。・・・それは、じつに紋切り型で、戦争と抑圧の20年間と何も変わらない言葉遣いであった」(上巻343頁)。
この頃までは、天皇に対するジョークは大目に見られていたが、「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ臣民飢えて死ね」と書いた「プラカード事件」は起訴された。しかし、不敬罪ではなく名誉毀損罪とされ、恩赦によって公訴権が消滅した。
因みに、『砕かれた神』(1977年)の著者の渡辺清は、GHQが公開した天皇家の膨大な財産に衝撃を受けたと語ったほか、田辺元も、天皇が皇室の保有する莫大な財産を「国家に下付」して貧しいものに還元すべきだったと述べていたことを想起すべきであろう(下巻95,307頁)。