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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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マッカーサーと天皇の関係(3)

 ダワーの『敗北を抱きしめて』上・下巻を読了した。「付箋」を頼りに、マッカーサーと天皇の関係についての記述を、さらに追い続けることにする。今回は、両首脳の会見記についてである。
 「1945年9月27日、マッカーサー元帥と天皇裕仁が初めて会見したときの有名な写真は、日本の新聞に掲載されるや大きな反響を呼んだ。これによって、マッカーサーの権威と、彼が天皇の力になるつもりである(=かたわらに立つ)ことが明らかになった」(下巻23頁)。
 「元帥と天皇は、約40分を一緒に過ごした。もとより、2人の会話の詳細は秘密とされた。これ以後、2人は10回にわたって会見することになるが、会話の内容はすべて秘密であった。マッカーサー側が何の記録も残さなかったのは確かである。日本側の通訳が残した会見録も、3回分を例外として、まったく公開されることはなかった。結局、こうしたやり方は、玉座をとりまく「菊のカーテン」を最高司令官の手で永らえさせたばかりでなく、天皇の神々しいイメージをいっそう強めさえした。実際、最初の会見から数ヶ月間にわたり、占領軍当局は天皇の戦争責任に関する本格的な調査を許さなかった。そのうえ、忠良なる臣下たちがまさに裁かれようとしている事柄について、天皇自身を尋問することさえも禁じて、菊のカーテンをさらに固く閉ざしたのである」(下巻27頁)。
 「宮中の側近によると、この会見の前の裕仁は緊張し、不安げな様子であった。ボアーズは天皇が到着した時、震えていることに気がついた。しかし、マッカーサーとの会見を終えて帰るときには、天皇は精神的に高揚した様子で、明らかに緊張が解け、自信をとりもどしていた。・・・・・天皇はもどるとすぐにマッカーサーが私にほめ言葉をくれたと木戸幸一に語り、木戸は胸をなでおろした。のちに木戸が記したように、この会見がなければ、天皇が戦争犯罪から免れることは非常に困難であったろう。翌日、皇后は、皇居で栽培した菊と百合の花束をマッカーサー夫人に贈った。翌週には、天皇と皇后から優美な蒔絵の文箱がマッカーサー一家に届けられた」(下巻29頁)。
 そして、ダワーは、「このころ、GHQの上層部がどんな相談をしていたか、もし皇室が知り得たならば、さぞ狂喜していたことであろう。宮中の願望と司令部の意図には、基本的な違いはほとんどなかったからである」と指摘している。
by nakayama_kenichi | 2006-03-02 14:28