最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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マッカーサーと天皇の関係(1)

 私は、長い間、天皇の戦争責任が結局は問われないままになったのはなぜかという疑問を持ち続けていた。本人が自ら戦争責任を認めるのが当然であるにもかかわらず、それが一切なされてこなかったことははっきりしている。しかし、敗戦当時、連合国からは天皇の戦争責任を問う声が上がっていたことは事実である。にもかかわらず結局不問に付されたのはなぜであろうか。ダワーの「敗北を抱きしめて」は、この点を以下のように明瞭に分析している。
 「基本的にいえば、最高司令官はワシントンの上司に許可をもらえば、既存の政治機構を変更し、天皇裕仁を退位させ、天皇制を廃止することさえできる権限を持っていた。しかし現実には、こうした選択肢は一度たりとも真剣に考慮されることはなかった。日本の軍事組織は消滅し、抑圧的であった内務省も解体されたが、官僚制は本質的に手づかずのままであり、天皇も退位しなかった」(上巻、262頁)。
 「マッカーサーとその側近たちは、天皇の戦争責任ばかりでなく、天皇の名において残虐な戦争が許されたことに対する道徳的な責任さえも、すべて免除しようと決断していた。・・・・・にもかかわらず、日本の侵略行為に対する天皇の積極的な関与の事実は、当時からすでに無視できなくなっていた。すくなくとも天皇の道徳的責任は明白であった。ところが、この天皇の責任について、アメリカ人が見て見ぬふりをしただけでなく、否定さえしたために、「戦争責任」という問題の全体が、ほとんど冗談になってしまった。その人の名において、20年にわたり帝国日本の外交・軍事政策が行われてきた、まさにその人物が、あの戦争の開始や遂行に責任を問われないとしたら、普通の人々について戦争責任をうんぬんしたり、普通の人間が自分自身の戦争責任を真剣に考えるべきだなどど、誰が思うであろうか」(上巻11-12頁)。
 マッカーサーは、占領目的のために天皇を利用し、天皇もそのことを知りつつ、マッカーサーに協力することによって、戦争責任を見事に免れたのである。この関係を、ダワーの本は、目を見張るほど的確に指摘している。この点については、さらに次回に触れることにする。
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by nakayama_kenichi | 2006-02-27 21:21