敗戦直後のこと
2006年 02月 22日
熊谷開作先生の17回忌の折、日本法制史の専門家に質問し、敗戦直後の日本の「民主化」の過程をもっと知りたいといいましたら、いろいろ参考資料を教えて頂きました。その中で、今日は、山中永之佑氏編「新・日本近代法論」(法律文化社、2002年)から、戦後の出発点となった2,3の事実を引用しておきます。
1.1945年8月15日、天皇は日本降伏を詔書朗読によって国民に伝えた。詔書は「朕ハ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾(なんじ)臣民ノ赤誠に信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」と述べて、「国体護持」=天皇制維持を強調していた。
2.ポツダム宣言は、日本がそれを受諾し、1945年9月2日の降伏文書に署名することによって、国際法的効力を有する一種の条約としてそれを履行する法的義務を連合国、日本の双方に課するものであった。
3.しかし、ポツダム宣言の受諾にあたって総辞職した鈴木内閣を継いだ東久邇内閣は、一部の例外を除けば日本を非軍事化、民主化しようとする連合国の方針にことごとく対立した。・・・・東久邇内閣は、連合国総司令部の「政治的・宗教的・市民的自由ニ対スル制限ノ撤廃ニ関スル覚書」に従えば国内の治安維持はできないという理由から10月5日に総辞職した・・・・。
以上の記述からは、当時の天皇の詔書に「国体護持」の安堵感が見られるものの戦争に対する反省は全くうかがえないこと、および敗戦直後の日本政府も旧態依然たる時代感覚を維持したまま、平然と戦後政治を始めようとしていたことを確認することができるでしょう。

