熊谷開作先生とボアソナード
2006年 02月 14日
私は、専門は違うのですが、1990年頃に、熊谷先生からのご依頼を受けて、金沢の北陸大学法学部の創設にかかわって、しばらくの間でしたが、連日お会いして意見交換をするという貴重な経験をしました。先生は、その直後に急逝されましたが、私は先生のご遺志をついで、1998年まで北陸大学に赴任しました。今となっては、懐かしい思い出であります。
建仁寺は、熊谷家の檀家寺で、お墓も境内にあるのですが、この建仁寺は、その名の通り、建仁2年(1202年)に建立された禅宗臨済宗派の総本山で、800年の歴史をもつ京都の古いお寺です。広い敷地に由緒ある建物が立ち並び、とくに静かなたたずまいの日本庭園には心を洗われる感じがします。京都に住んでいながら、なかなかこのような古いお寺を訪れる機会もない毎日なので、久しぶりに古き良き京都を満喫しました。
ところで、その折に頂いた参考資料の中に、熊谷先生が1966年1月17日の毎日新聞夕刊に書かれた「ボアソナードのこと」という文章があります。これは、先生が文部省の在外研究員としてスウェーデン・ウプサラ大学に留学された折の帰国談ですが、そこには熊谷先生の若かりし頃の顔写真とともに、南フランスのアンチーブにあるボアソナードの墓の写真も掲載されています。ボアソナードは、明治6年に来日し、司法省法律学校で法律学の講義をしたほか、日本の民法典をはじめ、刑法や刑事訴訟法の編纂にも参加し、明治初期の法典編纂に大きな影響力を与えた大法律家であったことは周知の事実であります。
熊谷先生の文章は次のように結ばれています。「『明治は遠くなりにけり』ともいわれるけれども、わたくしには、明治以降の諸制度の総決算がいま行われようとしているように思われてならない」。

