亀井勝一郎「愛の無常について」
2006年 01月 27日
どうして当時、亀井勝一郎の「愛の無常について」を読んだのか、もちろん記憶にないが、当時の日記の記述では、郷里から上洛する際に車中で読んだとあり、大変興味深く、失われていたものが戻ってくるような感じがしたという短い感想が付されている。
今回、本書を読んでみて、50年以上もの時間差があるものの、昔を回顧しながら、改めて感じたことを書きとどめておきたい。
第1は、戦後の大學の学生運動がすでに警察の介入を経験していた時期に、病気休学で前線から退いていた私にとって、亀井勝一郎氏の体験(共産主義者、愛国者、仏教徒)がひとつの示唆を与えてくれるという関係があったのではないかという点である。結果的には、私は著者と同じ道を歩まなかったが、一人の真摯な人間の生き方を本書から学んだといえようか。
第2は、本書の内容であるが、その中には、今でも心に残り、心を揺さぶるような切実な問いかけが含まれている。それは、究極的に、人間の「愛の無常性」を訴えるものであるが、人間の生き方に対する示唆も豊富に含まれている。心に残ったその言葉のいくつかをあげておこう。「どんなに年をとっても、むしろ年をとるにつれて友情もまた成熟するものであり、友情あるところに私は枯れざる青春を見出す」。「あの時期、あの人に邂逅しなかったならば、今日の自分はありえなかったであろう」。「いま平静に読めば、醇乎たる思想であり美であるものさえ、濫用されスローガン化されると忽ち摩滅して一個の形骸となる」。「熟練とは一種の節度である」。「人間として許される最も永続的な幸福と快楽があるとすれば、それは読書である」。
本書は、1949年(昭和24年)に刊行された古い本であるが、今でも一読に値するものといえよう(講談社文庫)。