企業の政治献金こそ問題
2005年 12月 24日
2005年12月24日の朝日新聞の社説は「政治と金」の問題を論じているが、そこでは、政治資金規正法が依然として「ザル法」のままであって、企業献金を受け取る「窓口」をいくつもつくれるのも随分と身勝手な話であり、外部の監査や残高証明も義務づけられていないので裏金処理の跡が絶たないという嘆かわしい現状が指摘されている。しかし、政治資金を一本化した報告や外部的監査の義務づけなどの改正提案は、これまですでに繰り返しなされてきたにもかかわらず、自民党内には慎重論が多いという理由で手づかずのままである。政治家に不利益な法的規制を政治家に期待することができないとすれば、国会は自浄能力と自律機能を失った利益集団に陥ったことを意味するのではあるまいか。
また上記の社説は、政党交付金という名の税金が政党に配られている点にも触れて、その総額が316億円(昨年)にも及び、受け取りを拒む共産党を除く各党の重要な資金源になっていると指摘する(自民党収入の60%に近く、民主党収入の83%をこえる)。そしてその背景には、個人献金の伸び悩みという問題があるとした上で、政治への信頼を回復する第一歩は政治と金の関係の透明度を上げることだとし、それによって有権者との距離が近づき個人献金にも弾みがつけば、政党にとって大きな力を得ることになると結んでいる。
しかし、この最後の段落は、全く理解し難い論理を含んでいる。政党交付金のほかに「企業献金」を野放しにしておいて、どうして個人献金に弾みがつくというのであろうか。逆に「企業献金」を制限し廃止することこそが政治家や政党を有権者に近づけ、献金した企業の利益を代弁する「選良」ではなく、国民の「公僕」たらしめる正道ではなかろうか。

