熊谷開作先生のこと
2005年 12月 04日
私は法史学には門外漢であるが、熊谷先生の温厚な人となりとヒューマンな学問的態度に惹かれるように、興味深く拝見した。かくも良きお弟子さんたちを含む門下生をたくさん育てられた点だけからも、熊谷先生の人と学問の魅力を実感することができよう。
私と熊谷先生との直接の関係は、たしか私が大阪市大を定年退職前の平成元年(1989年)の秋に、龍谷大學を定年退職された熊谷先生から国際電話がかかり、新設予定の北陸大學法学部に来ないかという勧誘を受けたことから始まる。私は、とうとう先生の熱心さにほだされて、金沢まで出かける決心をし、先生と理事者との会談(京都タワーホテル)に何度か立ち会った。
しかし、翌平成2年(1990年)の2月17日、まさにこれからが本番というときに、熊谷先生は突然病に倒れ不帰の人となられた。69歳とは今にして思えばまだまだの年齢である。私は当時63歳であったが、その後、先生のご遺志をつぐ覚悟を決めて、70歳までの数年間京都から金沢まで通勤した。そこでは多くの得がたい経験をした。
その後は今日まで、毎年2月になると、熊谷先生宅を訪問することにしているが、奥様が私の恩師の瀧川幸辰先生の次女に当たられる方であるというのも、何か不思議なご縁があるように思われる。そして最近、法科大學院を受験中のお孫さんからもメールが届いた。