専門の法律用語
2005年 10月 15日
その中で特徴的なのは、私ども法律家が何気なく用いている「言葉」が一般にはあまり用いられないもので、異様に感じるといわれている点である。たとえば、「論定」「論策」といった言葉は初めて見るもので、「権衡」も「均衡」でよいのではないかといわれる。ここまでは、その通りだとしても、「謙抑」という言葉は漢和辞典にもないと言われてみると、その言葉が有意味なものとして定着しているだけに、いささか驚いてしまう。そこで念のために「広辞苑」を調べらたら、「謙抑」の項目があり、「へりくだって自分をおさえること」という説明がついていたので安心した。
次に、違和感をおぼえる言葉として、小野博士の「日本的道義観念」が「淳風美俗」と等値されるのは、道義と風俗を混同するものではないかという指摘があり、この点は「公序良俗」とのl関係でも、考えさせられるものがあった。また、国民的道義と国家的道義の区別が重要ではないかという指摘にも共感をおぼえるものがある。
さらに、疑問点として、とくに「国民の規範意識」を「解釈の基準にする」「汲み上げる」といわれる場合に、「国民の規範意識」のありようが容易に概括できるものなのか、規範意識も不動のものではなく、流動しており、それを政府が育成することも可能であり、国民のl側の創造する闘いで形成されることも可能ではないかといわれているのは、実質的な検討を要する重要な指摘であると思われる。これを「国民の健全な規範意識」とか「社会通念」と置き換えても、問題が解決したことにはならない。おそらくは、国による規範意識の育成と国民の側からの権利意識の主張との緊張関係の中から、ぎりぎりの「接点」が生まれるものというべきであろう。