治安維持法のこと
2005年 09月 28日
この治安維持法は、戦後に廃止されたが、それは当時の日本政府の独自の判断によるものではなく、占領軍の強い要請(覚書)によって、ようやく実現したものである。そして、日本国憲法は、「思想及び良心の自由」(19条)をはじめとする基本的人権の保障を前面に押し出すことによって、治安維持法は形式的にも実質的にも憲法に違反するものとなったのである。
ところが、今また「思想」の自由の侵害が問題になろうとしている。いわゆる「共謀罪」の立法化に関連して、2005年7月の国会審議の場で、民主党の辻議員が治安維持法の評価を問題とし、それが憲法違反かと問うたのに対して、南野法相は申し上げる立場にないとして答弁を回避したのである。そこに立法者の歴史認識の危うさが露呈されているといえよう。
なお、最近でも、戦前の治安維持法の犠牲者として、1945年2月に京都の同志社大學英文科に留学していた朝鮮人の「尹東柱」(ゆん・どん・じゅ)さん(韓国の国民的詩人)が逮捕され、山口の刑務所で「獄死」を強いられたという事実があり、当時の同志社の学友から情報を得る運動が続けられているという動きを知る機会があった。

