若い人の保守化について
2005年 09月 21日
しかし、その間の大學の変容には、目を見張るものがある。まず、大學の建物が立派になった。とくに最近は豪華さを競うようになっているが、昔の大學の木造建築の風格と内部の薄暗い素朴な味わいを体験した者にとっては、何か別世界のように思われる。その上に、女子学生が圧倒的に増えたことが、大學の雰囲気を一挙に明るくした。
ただし、学生のサークルや運動部などの活動は見られても、いわゆる「学生運動」はすっかり影をひそめてしまった。社会問題が山積しているにもかかわらず、大學内での集会も、学外にくりだす「デモ」もほとんど見られない。果たして世の中は平穏無事なのであろうか。
たしかに、学生運動は1960年安保後の全共闘運動の挫折という歴史的な負因を背負っているとはいえ、社会的・政治的な問題に最も敏感に反応するのが学生であるという時代状況は変わっていないはずである。その学生自身の意識と行動が「現状の肯定と順応」に傾いているとすれば、それこそ「若い人の保守化」を象徴しているといえよう。
今度の選挙でも、左翼政党は社共あわせても5パーセント程度という状態で、このまま右傾化が進むと、憲法の「改正」にまで至るおそれがある。大學の変容も避けられず、その兆しはすでに現われている。私としては、若い学生諸君に対して、「リベラルなヒューマニズム」の観点からの批判的精神を共有し、表現されることを期待したい。