吉川経夫先生からの電話
2005年 07月 25日
吉川経夫先生は、京都のお生まれで、京都一中、三高、京大法学部と進まれ、1950年(昭和25年)には京大法学部助手になられた。しかし、1952年には法政大學に転出されているので、1953年に京大に残った私とは、すれ違いに終わり、かなり長い間お会いする機会がなかった。親しくお付き合いするようになったのは、平野・平場両博士が「改正刑法草案」に対抗するために1970年代に東西の研究者を結集して作られた「刑法研究会」の場であったが、吉川先生はすでに1960年代から「改正刑法準備草案」の起草にかかわって、この問題には一貫して取り組んでおられた。おそらく現在では、刑法改正問題の歴史的な経緯についてもっとも精通されている第一人者であるといってよいであろう。
吉川先生は、一時期、音信不通の状態になっておられたが、日の丸・元号法制化問題で突如目覚められたこともあって、その信念には徹底した筋金が入っている。「敗戦」を決して「終戦」とは言わず、西暦以外の元号は決して用いないという先生の頑固さには敬服するほかはない。これでは、判例の検索に困るのであるが(判例は、明治、大正、昭和、平成の元号のみ)、元号では比較法に困るほか、とくに平成では西暦との換算に苦労することが多い。元号法制化の矛盾は深いことを、あらためて吉川先生から学ぶ必要を痛感するのである。

