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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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敗戦直後のこと(2)

 私は、自覚のないままに高等商船学校に復学したものの、次第に後悔するようになり、旧制高校への転校を申し出たが、学校側の許可が遅れ、ようやく近くの静岡高校の入試に間に合って、幸運にも合格することができた。
 高校では、講義でもすでに「新憲法」のことが話題になり、出版物も少しづつ出はじめていたが、クラスの先輩格の者の中には、すでにマルクス主義の文献を読んで、天下国家を論じる者も現れていた。知識に飢えていた若者たちは、学校の講義には出ずに、解禁となった左翼文献に没頭し、急速に戦後の自由と民主主義の風潮を謳歌するようになった。たしかにそれは、「つかの間」であったとはいえ、戦後の「解放期」という名にふさわしく、戦前の苦しい弾圧を忘れたかのように自由に振舞うことができたのである。現に、私のクラスは、40名位であったが、その過半数がイデオロギー的な議論にも行動にも容易に同調し、映画を見に行くように、政治的なデモにも参加したのである。しかし、私はそこに、その当時の日本のインテリの決定的な甘さが象徴されていたように思われてならない。
 3年間の高校生活の後、私たちはほとんどが東大と京大に進学したが、1948年(昭和23年)頃からすでに占領政策の転換が始まっており、大學での学生運動はきびしい壁に当面していた。学生も次第に政治的な関心から離れて、現実主義的な方向へと転換し始めていた。そして、大學を卒業する1953年は経済不況のため就職難にあえぐことになったのである・・・・・・。
 戦後日本の民主化の推進者は果たして誰であったのか、どのような状況判断がなされていたのか、過去の清算はどこまで行われたのか、戦前からの転換はどのような形でどこまでなされたのか、何がそれを妨げたのかといった点を、改めて検証しなければならないように思われるのである。
 
by nakayama_kenichi | 2005-07-10 16:53