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最近大学を離れ、論考を公表する機会が少なくなってきました。論文として公表する以外の資料や感想文などを公開する場を持ちたいと考え、このブログを開設しました。


by nakayama_kenichi
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敗戦直後のこと(1)

 1945年(昭和20年)8月15日の敗戦の日を体験した人が次第に少なくなり、忘れ去られようとしている。しかし、同じ敗戦国でも、敗戦直後における過去の清算と対応の仕方がドイツと日本とではかなり違っていたのではないか、そしてそれが今でも尾を引いているのではないかという思いを年々強く抱くようになった。そのような課題を念頭におきながら、まずは敗戦直後の私自身の体験を思い起こしておきたい。
 私は、清水の高等商船学校の2年生の時に敗戦を迎えた(19歳)。その直前までは、海岸に蛸壺を掘って身を潜め上陸する敵軍に体当たりして「自爆」する訓練をさせられていた。ともかく戦争が終わり、一命をとりとめたことを実感した。皇居に向かって自害せよといきまいた一部の将校もいたが、やがて収まり、10日後の8月26日に帰郷を許された。私の郷里は滋賀の片田舎なので、空爆等の被害は免れていたが、家族は物心ともに虚脱状態にあった。さっそく、両親や兄とともに農作業に従事して食糧の確保に追われた。
 9月になると、高等商船学校から通知があり、海軍兵学校などと違い、廃校にはならず、定員を3分の1に縮小して出発するので、希望者は申し込めというものだった。海兵は旧制高校に転校できたが、高等商船は専門学校なので不可能なことがわかり、結局は「乗りかけた船」だということで、10月から戦後の清水高等商船学校に復学することになった。
 こうして、1945年10月から翌年の1946年3月までの半年間は、清水の旧校舎で貧しい寮生活をしたが、そこにはまだ、期待されたような新鮮な「戦後の息吹」は見られず、たしか当時の日記には、天皇制だけは維持すべしと書いていたような記憶がある。
by nakayama_kenichi | 2005-07-10 14:52