敗戦直後のこと(1)
2005年 07月 10日
私は、清水の高等商船学校の2年生の時に敗戦を迎えた(19歳)。その直前までは、海岸に蛸壺を掘って身を潜め上陸する敵軍に体当たりして「自爆」する訓練をさせられていた。ともかく戦争が終わり、一命をとりとめたことを実感した。皇居に向かって自害せよといきまいた一部の将校もいたが、やがて収まり、10日後の8月26日に帰郷を許された。私の郷里は滋賀の片田舎なので、空爆等の被害は免れていたが、家族は物心ともに虚脱状態にあった。さっそく、両親や兄とともに農作業に従事して食糧の確保に追われた。
9月になると、高等商船学校から通知があり、海軍兵学校などと違い、廃校にはならず、定員を3分の1に縮小して出発するので、希望者は申し込めというものだった。海兵は旧制高校に転校できたが、高等商船は専門学校なので不可能なことがわかり、結局は「乗りかけた船」だということで、10月から戦後の清水高等商船学校に復学することになった。
こうして、1945年10月から翌年の1946年3月までの半年間は、清水の旧校舎で貧しい寮生活をしたが、そこにはまだ、期待されたような新鮮な「戦後の息吹」は見られず、たしか当時の日記には、天皇制だけは維持すべしと書いていたような記憶がある。