母の日
2011年 05月 09日
その老婦人の娘さん(お医者さん)が、ピアノを弾かれ、懐かしい童謡のいくつかを集まった入居者がみんなで唱和して歌うという趣向でした。「この道」「故郷」「春が来た」「出船」「花」「荒城の月」など、いずれも長年の月日を経てきた昔なつかしい曲目でした。
このマンションの入居者は、すでにほとんどが自分の母を亡くしており、自らが人の「母」か「祖母」になっているわけですが、この機会に、今は亡き自分たちの母を思う日として心に刻むことに意味があるように感じました。
私事にわたりますが、私の母は明治32年の生まれで、雪深い湖北の寒村で育ち、家つきの長女として養子と結婚して、5人の子を産み、戦前、戦中、戦後の苦難な時代に耐えて、家事のほか、田畑の仕事にも黙々と従事していました。父が早く亡くなりましたので、生活も楽ではなかったのですが、子供たちもその事情を心得て、母に協力し、仕事を手伝ったものです。自分が女学校にも行かない身では、教育ママなどになるはずがなく、子供は協力しながら自立せざるを得なかったのですが、それが結果的には良かったように思います。
この機会に、母が77歳で亡くなるまで、長年の苦労に報いるために何も特別のことをしてこなかった自分たちの至らなさを反省するともに、この世で一人しかいない母親がおおらかで陰日なたのない愛情を子供たちに注いでいてくれたことに、改めて思いを致す「母の日」になりました。