日本人の国民性
2011年 04月 28日
日本人は、死刑は極悪非道な罪を贖うにふさわしい(時として)唯一の方法であり、死刑の廃止は治安上も人権尊重の思想上も絶対に許されないと考え、この確信は「切腹」の感性に歴史的な根拠を有しており、他文明の普遍的主張には無関心である上に、最近では犯罪被害者による償いの要求としても現れているというものです。
しかし、このような考え方を「日本人の国民性」として、一般化することには問題があるように思われます。現に、その一例として、古く戦前の、しかも戦時の非常事態のなかで、著名な佐伯千仭博士が日本人の伝統的な国民性を以下のように特色付けられていたことを指摘しておきたいと思います。
「①極めて進取的・開放的で外国文化を取り入れるが、他面著しく保守的で自己固有のものを失わない。②一面極めて武断的でありながら、しかも刑罰は一般に頗る寛大である。③潔癖でしばしば激情的な面があるが、しかもそれは執拗、固執、執着的でなく、結局極めて淡白である。④実際的・現実的であって理屈にこだわらないが、しかも他面で常道理の一貫性を求めてやまない。⑤上下の関係が信頼の深い感情によって結ばれ、わが刑事裁判の伝統的慎重性がそれに由来する」(「刑事法より見たる日本的伝統」法学論叢50巻5=6号、昭和19年)。
ここでは、「寛大性」と「淡白性」が注目すべき点であり、平安期の350年にわたる死刑の執行停止(モラトリアム)の歴史的事実も想起されているのです。