死刑と靖国神社
2011年 03月 09日
たしかに、国内で死刑囚が再審無罪になるケースが相次ぎ、国際的にも死刑廃止国が増加しつつあるにもかかわらず、なぜ日本人がこれほどまで死刑に執着するのかというのは、ひとつの謎といえるかもしれません。
そこで、丸谷氏は、現代日本人の死刑肯定が伝統的な「御霊(みたま)信仰」に由来するもので、仇討ちというかつての習俗は、被害者の亡魂に加害者の首級という贈り物を献げる儀式であったとし、今われわれ日本人は死刑制度という官営の儀式によって被害者の霊を鎮めようとしている。そして実は、招魂社や靖国神社は明治国家がこの信仰によりかかり、戦死者の死霊を国が慰める制度として請け負い、国民は亡魂を鎮める祀りを体制と官憲に委ねてしまったので、その結果、われわれ国民はその供養を、死刑という形で国家に任せることで、怠けているのだといわれるのです。
たしかに、現代の日本人が死者たちに対する敬虔さを失い、哀悼の思いを共有することなく「避けている」ことが、国家による死刑制度を不動のものとして支えているともいえるでしょう。しかし、裁判員制度は、裁判官だけでなく、市民としての裁判員にも、いやおうなしに死刑の問題に直面させるようになり、この問題を「避けて通る」ことが出来なくなってきています。被害者の魂の救済と加害者の社会復帰を真剣に考慮することを通じて、死刑に正面から立ち向かう中で、死刑の停止や廃止を論議する場が生まれてくることを期待したいものです。