寛容の精神
2011年 01月 27日
本書では、戦前の「日本法理」運動が刑法思想に及ぼした影響と果たした役割を歴史的な教訓としてまとめておきたいというのがその狙いですが、とくに佐伯博士については、戦後の刑法思想への劇的な転換の裏面史を探るという特別の意味があります。
戦前の「日本法理」運動は、「国体の本義に則り、国民の思想、感情および生活の基本を訪ねて、日本法理を闡明し、もって大東亜秩序の建設ならびに世界法律文化の展開に貢献する」という国粋主義的な性格のものとして批判されなければならないものですが、しかし、実際に「日本法」の固有の特色として挙げられたものの中には、「寛恕」・「寛容」の精神が共通して見られたことが注目されるところです。
たとえば、小野博士は、日本の固有法には、倫理的厳粛性とともに、仁慈の精神と慎刑(刑を慎む)の思想があるとし、佐伯博士も、日本法は一面武断的でありながら、刑はむしろ寛大であり、繊細かつ淡白であったと特徴づけられています。
そして、立場の違う木村亀二博士も、日本古来の固有法の特質が「寛容の精神」にあったことを、歴代天皇の詔勅の中から、具体的に詳しく紹介され、たとえば「そもそも刑は刑なきを期す」という言葉も、本来は「刑律改撰の詔勅」の中に示されていたものであったといわれています(木村「刑法と国家的道義」、昭和18年)。
このような、日本固有の「寛容」の精神は、平安時代の300年間死刑の執行がなかったという歴史的事実とともに、最近の「厳罰主義」の思想を反省するための一つの教訓として想起されるべきでしょう。