検事総長の辞職
2010年 12月 18日
私も、引責辞職は当然であり、むしろ遅すぎたと感じるものですが、しかし、今回の引責辞職の経過と理由には、納得し難いものがあります。
第1は、検察の信頼を回復し、人心を一新するためという理由づけが、検察とその威信のことしか頭にないことをあらわしているという点です。検察の精鋭とその幹部が「犯罪」まで犯したという異常な事態は、関係者を処分しただけで回復できるものではなく、自らの監督責任を含む深刻な反省がまず必要なはずですが、この点が明言されていません。さらに重要なのは、検察の犯罪行為の被害者である事件の「冤罪者」に対しては一言の謝罪の言もないという点です。
第2は、検察庁の内部検証は身内のものであり、これを受けた外部の有識者による「検察の在り方会議」の結論も方向づけも、いまだ明確なものとはいえない状態にあることです。それが真に「再発防止策」になるかどうかという点こそ、もっとも重要な問題であり、この点について、検事総長としての「改革の提言」が求められています。
とくに重要なのは、捜査方法としての「取調べの可視化」の問題ですが、現場の取調官の本音は、全面的な可視化が「真実追求の執念に水をさす」ものだという確信(妄信)にあります(久保正行氏・元警視庁捜査1課長談話・朝日新聞12月8日)。この克服こそが真の課題です。

