仙厓和尚の生き方(2)
2010年 12月 02日
1.国風の意識 仙厓和尚は、禅を中国から伝えた栄光禅師を「千光祖師」として敬愛したが、今さら中国の禅に学ぶのではなく、日本禅の初心である「千光祖師」に還ることを重視した。「鶴の絵」の賛には「鶴は千年、亀は万年、我は天年」とある。
2.無禅の禅 仙厓和尚が65歳のときに書いた「観音大士」には「他人を益さんが為に起すならば、喜怒哀楽の心皆大慈悲となる」とあり、70歳で描いた絵の賛には「神儒仏の三つ足で立鍋への内、塾っくりとして、むまいものなり」とある。
3.「軽み」の境地 松尾芭蕉の俳句から「軽み」を学び、「古池や蛙飛び込む水の音」をもじった仙厓和尚の画賛がいくつかある。「古池や芭蕉飛び込む水の音」、「池あらば芭蕉に飛んで聞かせたい」。また「坐禅蛙」という画賛もある。
4.同慶と「遊」 良寛は「戒語」に学者くさき話、さとりくさき話などをあげたが、仙厓和尚も、「学者の学者くさきは、なお忍ぶべし、仏の仏くささは忍ぶべからず」と書いている。「を月さま幾つ、十三七つ」という賛の入った子供と遊ぶ絵もある。
5.みんな同い年 「老人六歌仙」と題した絵には、老人の痛ましい状況が画賛につづられているが、仙厓の絵が入ると、一気に明るく和やかになる。「年には勝てませんばい」と弱気にいうと、「人間はみんな生きてる間は同い年ばい」と答えたという。
6.絶筆 83歳で「絶筆碑」を立てた後も、求められれば書画を書いたといわれる。しかし、88歳の病床では「今、崖っぷちにぶらさがっとって、手ば放されんけん、雲が深うて、行き先がよう見えんばい」といい、最後には「死にとうない」と答えたという。
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神儒仏の三つ足

子供と遊ぶ和尚
