仙厓和尚の生き方 (1)
2010年 11月 30日
毎回の話の中に、仙厓和尚の筆になる独特の個性的でユーモラスな「画」とその画賛の説明がついていて、実に楽しく読めます。その中から、いくつかのエピソードを紹介しておきます。
仙厓義梵(1750-1837)は、美濃の小作農の三男として生まれ、11歳で得度し、在所の寺の小僧となる。尋常ならざる向上心を示し、12歳ですでに不眠不休の蝋八大攝心を経験した。19歳から32歳まで、武蔵の国の東輝庵で修行するが、天明の大飢饉の最中に地獄のごとき東北を行脚して貧民を助ける。
美濃に帰った仙厓は「無門庵」という庵に住み、乞食や浮浪者など無頼の人も受け入れて暮らしていたが、故郷を離れる決意をし、武蔵の国の東輝寺に帰って弟子たちに「無門関」を講じた後、博多の聖福寺の住職に抜擢される(40歳)。忙しい公務の間に、握り飯をもって書庫に篭り、大蔵経を3度も読み通したという。「樹下堂」という坐禅堂を完成させるが、62歳で住職を引退し、「虚白院」に隠栖する。
その後は、自由奔放に画筆を振るい、多くのユニークな画を残しているが、そこには、仏の大悲心とともに、権威におもねらず他人に奉仕するという姿勢から、「明るさと軽みの境地」、「同慶と遊びの心」、「心の加減と匙加減」などの軽妙な絵心が伝わってきます。
なお、「仙厓」という道号には、墓地の崖で仙人のように暮らす自分を揶揄するような響きもあるといわれますが、実は、冒頭の若狭の賢者が大正末期に立てて門人に神、仏、儒教を講じた山荘が「仙厓荘」と名づけられたこととの関係から、特別な関心があります。
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布袋(臨済宗の僧)の図

匙加減(生かそふところそふと)
