部落問題と刑事裁判
2010年 11月 19日
ここでは、いわゆる「解同」(部落解放同盟)が「糾弾権」と称して、批判者に組織的な集団暴力を行使した刑事裁判を2つ想起しておきたいと思います。1つは「矢田事件」(大阪)で、1969年(昭44)に大阪市教組の役員選挙の立候補挨拶状が「差別文書」であるとして中学校の教諭らを10時間以上も監禁したというものですが、何と第1審は可罰的違法性なしとして無罪とし、法廷傍聴も混乱回避のために認められないという有様でした。さすがに控訴審は有罪としたものの、懲役3月執行猶予1年という最低の刑にとどめました。
今1つは「八鹿高校事件」(兵庫)で、1974年(昭49)当時、校長応接室を「糾弾闘争本部」として提供させ、全教職員に集団的な糾弾闘争を展開し、逃げようとした50数名の者に体育館で踏んだり蹴ったりの集団暴行を加え、瀕死寸前の人も出たのに、県教委の幹部も警察も待機しながら放置していたというものです。この裁判でも、第1審は、主犯に懲役3年執行猶予4年、その他の者にも全員執行猶予付き有罪という軽い判決を下しました。
これらの判決は、現在の重罰化時代から見れば、考えられないような甘いものですが、その背後には、同和対策事業への国費と自治体予算の巨額の投入が利権獲得の争いとなり、「解同」が差別事件をでっち上げて、教育を含む自治体行政を支配し、マスコミもタブーとして報道せず、警察も放任するという「無法」状態が存在し、それが裁判所にまで及んでいたのです。
同和行政はかなり改善されたかに見えますが、なお楽観を許さない状況にあることを本書は指摘しています。
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柳ガ崎公園内の紅葉


