規範意識と「積極的一般予防」論
2005年 04月 19日
「犯罪を減らすには重罰による威嚇に期待せざるをえない」という「消極的予防」への信仰を、「積極的一般予防」と混同する人がいる。しかし、これは、とんでもない誤解である。・・・・・・・
「消極的一般予防」は、人々をいわば潜在的犯罪者とみなし、刑罰という害悪による恐怖や功利的計算で人々の行動をコントロールしようとする刑法観に立つものである。これに対して、「積極的一般予防」は、人々を社会の担い手=「市民」とみなし、この「市民」に共有されている規範(その社会のアイデンティテーを形成している規範)を維持することが、刑罰ないし刑法の機能であるとする。人々を統制の対象としてみるのか、それとも、社会の担い手とみるのかによって、この二つの刑罰論ーより正確には刑法観ーは鋭く対立するものとなる(松宮「過剰収容」時代の重罰化、法律時報77巻3号、2005年2月、2頁)。
ここからは、積極的一般予防論の趣旨が、刑罰の害悪による威嚇論でないだけでなく、絶対的な正義観念や被害感情を理由とした規範的な予防論といったものでもなくて、実は国民の間に事の是非善悪に関する市民的で合理的な規範意識の共有を維持し促進することにあるとされている点を正しく理解すべきだと思われます。「規範」は理性的な存在であるにもかかわらず、これを「重大犯罪は許せない」といった規範感情(当罰意識)にまでせり上げて、これを重罰化の根拠にするのは、古い応報刑論の現代版といわざるを得ないでしょう。