検察改革の真の焦点
2010年 10月 27日
しかし、たとえその検討結果が特捜部を含む検察組織の改変を決めたとしても、それで今回のような検察の不祥事の再発が防げるという保障は、残念ながらありません。問題は、組織いじりのレベルを超えたもので、むしろ「手づかずの別個の問題」があるからです。
それは、検察(警察)による「捜査手法」の問題です。今回の事件でも、「誘導」などの理由で裁判で不採用になった34通もの「虚偽の供述調書」を作成した検察官の責任は問われないままになっています。また、取調べメモも破棄されていますが、何とこれは最高検の指示にしたがったものであることが判明してきています(朝日新聞10月26日)。それは、最高検を頂点とした組織的な証拠の偽造と隠匿が支配していることを意味します。この点にこそメスを入れなければ、検察改革はまた名のみとなるでしょう。
今こそ、捜査過程の全面的な「可視化」と証拠の全面開示に向けた一歩を踏み出す最大のチャンスであり、それが数々の「誤判・冤罪事件」から学ぶべき教訓として、国民の信頼を回復する道であることを自覚すべきときだと思います。
ところが実際には、大阪地検の検事正の後任に就いた北村氏は、今回の不祥事について、「最高検の検証結果を待ちたい」と述べるにとどまり、「基本に忠実な捜査で信頼を回復したい」と語ったといわれるその記事のすぐ隣に、「取調べ 薄れぬ恐怖」と題して、大阪府警が椅子を蹴って威嚇し、録音を知って態度が一変したという体験記事が掲載されているのは、何とも皮肉というほかありません(朝日新聞10月27日)。「基本に忠実な捜査」とは何なのでしょうか。

