取調べの適正と水掛け論
2010年 09月 11日
本件の裁判の特色は、元局長の関与を認めたとされる元部下たちの供述調書の大半が「検事の誘導で作られた」などとして証拠採用されなかったという異例の展開を辿った点にあります。しかも、この事件を担当した検察官が、取調べのメモを全部破棄してしまっていることもわかり、それは最高検の指示にも反することが判明しましたので、この事件の「取調べの適正さ」が改めて注目の的になっていたのです。
この点について、公判審理の過程では、本件の取調べを担当した検察官は6名全員が「取調べは適正に行いました。調書は正しい」と臆面もなく供述していたことに注目する必要があります。しかし、取調べを受けた当時の村木被告は、否認しても聞いてもらえず、「私の指示がきっかけで、事件が起こってしまった」という供述調書(検事が書いたもの)を読み上げ、「署名しますか」と迫られたというのです。そして、議論は「水掛け論のまま。(取調べを)検証できる仕組みがほしい」といわれていたのです。
今回の事件は、検察庁、とくに特捜部にとっては大きな打撃ですが、例によって根本的な反省の姿勢は見られず、おそらくはまた、内部検証によって不祥事の防止策を立てる程度にとどまることが予測されます。しかし、今こそ、これまで繰り返されてきた「水掛け論」から脱却するために、「取調べ過程の全面可視化(録音・録画)」に踏み切るべきチャンスです。「密室での取調べ」こそが諸悪の根源であることを、もうそろそろ自覚して、捜査の「大転換」に直ちに踏み切ることが、今回の判決からの教訓として要請されているというべきでしょう。それが、欧米諸国のみならず、韓国をも含む「国際水準」なのですから。

