熱海とのご縁
2005年 04月 15日
熱海は、私が旧制静岡高校に在学中、新憲法の普及運動のために県下の学校を回った際に、熱海の女学校に行った記憶があるほかは、日弁連の夏季合宿などで来たことがある程度でしたが、しばしば訪れるようになったのは、法律出版の成文堂の先代社長であった阿部義任氏が病気療養のために熱海に在住されるようになった昭和50年頃からのことです。
私は、東京からの帰途、阿部さんの御見舞いに立ち寄るうちに、阿部さんが私のために仕事場を提供し、必要な書籍類も用意されましたので、いつの間にか熱海で原稿を書くという習慣が定着することになりました。京都の暑さ、寒さを考えれば、熱海は快適で、刑法の体系書(刑法総論・各論)は、熱海で集中的に執筆したものです(手書き原稿)。熱海での親密なお付き合いは、阿部さんが心臓疾患で亡くなられる昭和57年7月18日まで続きました。実はその日も、熱海でお会いする約束をしていたのです。
先代が亡くなられてからも、現社長の阿部耕一氏がその趣旨を引き継がれ、その後約20年にも及ぶ現在まで、熱海とのご縁はまだ続いています。先代の遺品がまだほとんどそのまま残されており、面影を偲ぶことができます(追想の阿部義任、成文堂、昭60)。
熱海でも、その後は、手書きの原稿用紙からワープロに移行して、もうこれで終わりかと思っていましたが、とうとうパソコンで原稿を書くところまで進化しました。しかし、初心を失わないためにも、手書き原稿の苦労と喜びを忘れたくないものです。

