百勿訓釈義
2010年 08月 04日
はしがきの部分には、漢文で、余はすでに老いて命がまさに尽きようとしているので、この「訓」をもってわが子や孫や門弟に示し、修身処世に過ちなきことを願うとあり、昭和8年月、第34世長昭と記され、源長昭の大きな印鑑が捺されています。
それは、「君恩を忘るること勿れ」からはじまって、「修省して疚(やま)しきこと勿れ」まで、実に100個の「勿れ」が漢文で書かれ、1つ1つ注釈がつけられています。出典も注も全く付されていませんので、全部を著者自身が創作したものと思われます。
戦前の昭和8年の時代を考えますと、忠君愛国の精神と日本の淳風美俗論が中心におかれ、孔子・孟子の儒教の教えが基本にあることは明らかです。それは、仁・義・禮・智・信(5常の徳)を、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友(5倫)の関係に及ぼすという趣旨のものですが、百勿のなかから、参考までにそのごく一部の項目をあげておきます。
「知らざるを言うこと勿れ」(浅学にして自ら知らざることを、物知り顔に言うのは、人を誤り又自己を欺くものである。言は慎みていやしくもすべきはない)。
「人に問ふを愧(は)つること勿れ」(己のしらざることは之を問ひてこそ、己の智を増し一生の恥を免れ、問ふを愧(はつ)かしと思ひて已むのは一生の恥をのこすのである)。
「恭謙にして傲なること勿れ」(人に対して恭しく禮を失はず、謙遜を旨として傲(おご)らむは、人の美徳である)。
「学ひて世に後(おく)るること勿れ」(時代の進運は1日も停止せず、常に修養を怠らず之に伴ふて行かねば、世に用なき過去の人となるべし)。以下略。

