瀧川ゼミと楽友会館
2005年 04月 14日
大學の最終学年のゼミ(演習)は、3科目分の単位に相当していましたが、私は最初から刑法の瀧川ゼミを希望していました。結核の病気からの休学明けで、まだ無理はできず、週に1回、ゼミに出席するだけで、郷里(滋賀の北部)で療養していました。
学内にもゼミに使える小教室はありましたが、そこでゼミが開かれた記憶があまりなく、むしろ近所の近衛通にあった「京大楽友会館」の方が印象として残っています。写真も残っていますが、コンパでも、先生は洋室でワインを飲むというスタイルを好まれていました。
先生はすでに定年に近く、短気なところもあって、ゼミ生は報告を途中でさえぎられて立ち往生するという場面もよくあったようです。旧制よりも新制のゼミ生に厳しかったようで、気の毒な気がしました。
今回、ゼミ生の会をこの「楽友会館」で開こうと思って、久しぶりに訪れましたが、すでに食堂の営業はなくなっていました。しかし、内部はかつての研究会や食堂の部屋を含めて、昔の情緒をそのまま漂わせており、しばし感慨にふけりました。大學を卒業して院生になって以降も、、この楽友会館は、刑法学会関西部会などの研究会の場所として長く使用されていたのですが、学生時代の瀧川ゼミの場所としてお世話になった最初の出会いの頃が一番なつかしい気がするものです。
因みに、余計な私事にわたりますが、私どもの結婚式の披露宴も、この楽友会館で行われました(昭和33年)。

