公務員の政治活動
2010年 05月 23日
3月の「堀越事件」判決については、表現の自由を重視したもので、「時代に沿う当然の判断だ」との評価が一般的でしたので(3月30日朝日社説)、5月の「宇治橋事件」判決は、意外の感をもって迎えられたのですが、それでもなお「理は無罪判決の方にある」との評価が注目されたのです(5月13日朝日社説)。
私自身も、前者の「堀越事件」判決の方を高く評価するのですが、ここでは、2つの判決が結論を分けた分岐点がどこにあったのかという点を冷静に検討しておく必要があると思います。両者とも、1974年の指導的な最高裁大法廷判決(猿仏事件)に従って、国家公務員法の罰則規定じたいは「合憲」であるとする前提に立ちつつも、前者が時代的な社会状況と国民意識の変化に沿った柔軟な解釈の余地を認めようとしたのに対して、後者は30年以上も前の政治活動禁止の趣旨を現在でもなおそのまま維持する必要があるとして全面・一律的な適用に固執しようとするのです。
問題は、2つあります。一つは、処罰するに値するような「弊害」があるのかという点で、「宇治橋事件」判決は、これを広く解し、公務員が政治活動をすれば、それがどんな状況であろうと「公務の中立性に対する国民の信頼」が害されると決め付けてしまうのです。
もう一つは、公務員にも国民の一人として「表現の自由」があるのではないかという点で、「宇治橋事件」判決はこの点に全く触れていないところに問題があります。
両事件とも現在上告中ですので、かつての猿払事件判決の見直しをも含む最高裁判所の「先見の明のある」判断に期待したいものです。