緩和的鎮静と安楽死
2010年 04月 01日
ところが最近、とくに①の「積極的安楽死」は患者の死を意図するからが許されず、③の「間接的安楽死」は苦痛緩和を意図するから許されるという、「意図」による「2極分化的思考」に問題があるという批判が出てきている点が注目されます。
その主張の要点は、苦痛緩和(緩和ケア)の中でも、浅い「鎮静」には問題がないが、終末期の「持続的で深い鎮静」は、患者の意識レベルを低下させ、コミュニケーションの能力を奪ってしまうので、死の原因を与える「安楽死」に近くなり、明確には区別し難くなるというのです。
そして、現に「安楽死」を合法化したオランダやベルギーなどの諸国では、「安楽死」と「深い鎮静」を対立的に捉えるのではなく、終末期医療の際の類似した「選択肢」の一つとして位置づける考え方が一般的なように思われることも事実だといってよいでしょう。そこからは、「緩和ケア」も「安楽死」も、「自殺幇助」も、さらには「患者の依頼のない生命終結」(「慈悲殺」)も選択肢に含まれる可能性があります。
たしかに、「緩和ケア」が「深い鎮静」を伴う場合に、その濫用(薬物の過剰投与など)を警戒しなければなりませんが、そこでは「苦痛緩和」の意図とそれに相応しい方法が予定されていますので(「緩和ケアのガイドライン」)、これを患者の依頼による薬剤の投与によって患者が死亡する「積極的安楽死」と類似のものとして「相対化」することには、依然として疑問があります。現に、オランダの学者も、「緩和ケア」と「安楽死」を区別しており、「安楽死」を自然死とみなすことには慎重さを持しているように思われます。
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4月1日に、長岡天満宮で撮ったしだれ桜です。